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デヴィッドボウイ展

デヴィッドボウイ展

こんにちは。アシスタントの杉山です!
先日兄夫婦に連れられ、寺田倉庫(天王州)で行われている
デヴィッドボウイ展に行ってきました。
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兄夫婦がとてもロック好きでありまして、いつも私にうんちくを混ぜつつ歴代のアーティストやその時代背景などを
延々と語ってくれ、私に音楽とその影響力を教えてくれます。


私はデビットボウイなど曲何回か聞いたことがあるくらいで、得に好きという訳ではありませんでしたが
興味があったのでついていくことにしました。


はじまりは山本寛斎さんがデザインした衣装。


デビットボウイは日本の歌舞伎や侍に興味を持っており、
この衣装も山本寛斎に懇願しデザインしていただいたそう。


展覧会は入り口で渡されるヘッドホンを付け閲覧していきます。

デビットボウイが音楽に興味を持ち始め、彼がスターになるまでを
映像や衣装、資料に合わせ、彼の音が流れはじめます。



なぜこの曲を作ったのか、どんなことをみんなの伝えたかったのか。

デビットボウイがどういう人物なのかとても分かりやすい展示でした。



中でも一番目を引いたのがベルリンの壁を背に歌うデビットボウイの映像です。



西に比べて自由が少なく監視も厳しい東ドイツでは、不満を抱く国民が後を絶ちませんでした。

それでも口にすることは許されず、苦しい日々が続いていました。

1987年6月6日デビットボウイは西ベルリンを会場にコンサートを行いました。

西ベルリンには大勢の人が集まりましたが、観客はそれだけではありませんでした。

壁を挟んで東ベルリンにもスピーカーが向けられ、数千人の人が集まっていました。

デビットボウイの歌の中1人の若者が声を発しました。

「もっと自由を」「壁など無くなれ」



1人から広がって大きくなったその声たちをデビットボウイが歌でかき消してくれました。

「僕らはヒーローになれる
 たった一日だけなら」
        Hero’s



1989年11月9日ベルリンの壁が崩壊したその日、彼らはヒーローズになりました。



デビットボウイが亡くなった翌日、ドイツの外務省がツイートをしました

グッドバイ、デビットボウイ。あなたは今Hero’sの中にいます。

壁の崩壊に力を貸してくれてありがとう。



デビットボウイ、素晴らしい人でした。

まだやってますので興味があるかたは是非!

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